大奥の構造

江戸城は総坪数22万2182坪で、1万978坪の本丸と7200坪の西の丸、10万8392坪の 吹上の庭から成る徳川幕府の心臓部だった。
本丸は南向きに建っており「表」「中奥」「大奥」という3つの部分に分かれてい た。
「表」は政治の中心となる場所で、将軍が諸大名と謁見したり海外の使臣を出迎 える400畳もの大広間や朝廷の勅使を接待する能を催すための能舞台などがあった 。
「中奥」は将軍が日常生活を送る場所で執務を執り行う御座の間や寝起きをする 御休息の間などから成る。
そして「大奥」は将軍の女達の生活する部分で本丸の北半分を占めていた。
将軍以外の男で出入りを許されていたのは将軍の親戚の御三家、御三卿と御台所 と側室の譜代大名の親戚、老中、御留守居役、医師、僧侶だけ。
まさに将軍専用のハーレムだった。
「大奥」と「中奥」は銅塀で仕切られていて御鈴廊下という廊下のみで通じてお り、出入り口は御鈴口と呼ばれていた。
御鈴口は上下2ケ所にあり、上の御鈴口は将軍専用で下の御鈴口は将軍の生母の住 む新座敷へ向かうときと非常時に使われていた。
御鈴口には横幅3メートルと2メートルの杉の引き戸の2重扉があった。
将軍が御刀を持ったお小姓とお小納戸を連れて御鈴口に行き天井からぶら下がっ た太い紐を引っ張ると鈴が鳴り、それが将軍が大奥へ入るという合図になってい た。
「中奥」から「大奥」に入るときお小姓は大奥側のお迎えに御刀を渡して将軍を 引き渡した。
「大奥」には東側にも御鍵口という入り口があり、将軍以外の男達はここから出 入りしていた。
玄関を入ると事務的な仕事を行う男達がいる御広敷があり、詰所の見張りが常に 目を光らせていた。
その先に御鍵口があり、そこから大奥へ入ることが出来た。
御鍵口は午後6時に大奥側、御広敷側の両方から施錠され寝ずの番が見張っていた 。
「大奥」は御台所の住む「御殿向」と奥女中の住む「長局向」から成っていた。
「長局向」には約500人〜1000人の女中が住んでおり、一の側から四の側までの東 西に長い2階建の棟が並んでいた。
一の側に一番位の高い上級女中が一人で住み、二の側や三の側はそれぞれ数十室 に分かれ数人で一部屋が与えられ、四の側は更に大人数で共同生活をしていた。